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忌中・喪中や不成就日は初詣を避けるべき?注意点を解説

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新年の初詣、「行っても大丈夫?」と不安になっていませんか?

悩む女性
新しい年が始まり、清々しい気持ちで「初詣」に出かけ、一年の無病息災や目標達成を祈願したいと考える方は多いでしょう。

しかし、一方で「いまの自分が初詣に行っても良いのだろうか?」と、人には相談しにくいデリケートな悩みを抱え、ためらっている方々もいらっしゃいます。

例えば、

「昨年(あるいは最近)、身内に不幸があった。いわゆる『喪中(もちゅう)』だけど、初詣は控えるべき?
「四十九日を過ぎていない『忌中(きちゅう)』だと、神社に行ってはいけないと聞いたけど本当?」
「故人を偲ぶ気持ちと、新年を祝う気持ちが混在していて、どう振る舞えばいいかわからない…」

といった、ご家族を亡くされた方の悩み。

あるいは、

「カレンダーを見たら、行こうと思っている元旦や三が日のどれかが『不成就日(ふじょうじゅび)』にあたっている」
「『何事も成就しない日』に新年の祈願をしても、意味がないどころか逆効果なのでは?」

といった、暦(こよみ)の「凶日」を気にする方の不安。

これらは、日本の伝統的な慣習や信仰に根ざした疑問であり、新年の大切なスタートだからこそ、なおさら気になってしまうものです。

特に「忌中」と「喪中」は混同されがちですが、その意味合いも、控えるべき期間も全く異なります。また、「不成就日」などの暦注(れきちゅう)と、神社の参拝(神事)が関係あるのかどうかも、明確な答えを知りたいところでしょう。

この記事では、そうした初詣に関するデリケートな「行ってもいいの?」という疑問に対して、「忌中」「喪中」「不成就日」それぞれのケースごとに、なぜそう言われるのかという理由や、神社(神道)とお寺(仏教)での考え方の違い、そして私たちがどのように行動すべきかという注意点を詳しく解説していきます。

この記事を最後までお読みいただければ、あなたの不安が解消され、ご自身の状況に合わせて、故人への思いや神仏への敬意を大切にしながら、納得のいく形で新年のスタートを切るための判断ができるようになるはずです。

【最重要】まずは違いの理解を。「忌中(きちゅう)」と「喪中(もちゅう)」

喪中はがき
「身内に不幸があった場合、初詣はダメ」とひとくくりに考えられがちですが、実は「忌中(きちゅう)」と「喪中(もちゅう)」のどちらの期間にあたるかによって、その対応は大きく異なります。

この二つの言葉はよく混同されますが、その意味、期間、そして控えるべき行動の根拠は全く別物です。特に神社への初詣を考えている場合、この違いを理解しておくことが非常に重要になります。なぜなら、神道における「死」の捉え方が深く関係しているからです。

まずは、それぞれの言葉の正しい意味と期間の違いを明確にしましょう。

日光東照宮の初詣風景
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「忌中」とは?:故人の死による「穢れ」を祓う期間(約50日間)

「忌中(きちゅう)」とは、故人が亡くなってから特定の期間、遺族が外部との接触を避け、故人のために祈り、身を慎む期間を指します。

この考え方は、主に「神道(しんとう)」の思想に基づいています。神道では、死を「穢れ(けがれ)」として捉えます。ここでいう「穢れ」とは、故人や遺族が「不潔だ」という意味では決してありません。古来の日本では、死によって発生する「気が枯れた状態(=気枯れ)」が他者に伝播(でんぱ)すると考えられていました。

そのため、この「穢れ」が神聖な場所である神社(神域)に持ち込まれることを防ぐため、また、遺族が「気枯れ」の状態から回復し、再び清浄な状態(ケガレを祓った状態)に戻るまでの期間として「忌中」が設けられたのです。

この期間は、故人のために祈ることに専念する期間であり、神様へのご挨拶(=神社参拝)や、お祝い事への参加は厳格に避けられます。

具体的な期間としては、仏式でいう「四十九日(しじゅうくにち)法要」まで、神式でいう「五十日祭(ごじゅうにちさい)」までとされるのが一般的です。つまり、亡くなってから約50日間が「忌中」にあたります。

「喪中」とは?:故人を偲び、慶事(お祝い事)を控える期間(約1年間)

「喪中(もちゅう)」とは、上記の「忌中」の期間が終わった(=忌明けした)後も、引き続き故人を偲(しの)び、追悼の意を示す期間を指します。「服喪(ふくも)期間」とも呼ばれます。

「忌中」が神道の「穢れ」の概念に基づいていたのに対し、「喪中」は、「故人を亡くした悲しみから立ち直り、日常生活に戻るための準備期間(心の整理期間)」という意味合いが強いものです。これは儒教の考え方なども影響しているとされます。

具体的な期間は、故人との関係性(親等)によって異なりますが、一般的には故人が亡くなってから約1年間(一周忌法要まで)とされることが多いです。

「忌中」のように「穢れ」の期間とは見なされないため、行動の制限は比較的緩やかになります。喪中で主に控えるべきことは、「忌中」のような神事全般ではなく、「慶事(けいじ)」=お祝い事です。

具体的には、結婚式への出席、お正月のお祝い(年賀状、おせち料理、新年の挨拶回りなど)、派手な宴会への参加などを自粛します。これは「大切な人を失った悲しみの中にいるため、お祝いムードにはなれない」という、故人や遺族の心情に寄り添う社会的な慣習です。

この「忌中」と「喪中」の違いが、初詣に行くかどうかの判断に直結します。次の章で詳しく見ていきましょう。

【忌中】の初詣は避けるべき。神社(神道)における「死」の考え方

胡蝶蘭の花
ご家族が亡くなられてから約50日間、仏式でいう「四十九日」や神式でいう「五十日祭」までの期間を「忌中(きちゅう)」と呼ぶことを前章で解説しました。

では、この「忌中」の期間に新年の初詣を迎えた場合、どうすべきでしょうか。

結論から申し上げますと、「忌中」の期間における「神社」への初詣は、原則として避けるべきとされています。これは日本の神道における「死」に対する独特の考え方が深く関係しています。

なぜ忌中はダメ?神道では「死=穢れ(けがれ)」と捉えるため

神道において、神社は「神様」をお祀りする最も清浄(せいじょう)な空間(神域)です。神様は、この「清浄」であることを非常に大切にされると考えられています。

一方で、前章でも触れた通り、神道では「死」を「穢れ(けがれ)」の一種として捉える伝統的な思想があります。これは、亡くなった方やそのご遺族が不潔であるという意味では断じてなく、大切な人を失ったことにより「気(け)が枯(か)れた状態(=気枯れ)」、つまり生命力が一時的に低下した状態にあると考えるからです。

この「気枯れ」の状態にある人が、神様の清浄な領域である神社の鳥居をくぐり、神域に入ることは、神様に対して失礼にあたる、あるいは神域の清浄を乱すことになると古くから考えられてきました。

そのため、遺族は「忌中」の期間、神域への立ち入りを自ら慎み、自宅などで故人のために祈ることに専念するのです。これは、故人を悼む気持ちと、神様への敬意の両方を示すための、日本独自の伝統的なマナーと言えます。

「忌明け」はいつ?一般的に「五十日祭(ごじゅうにちさい)」まで

「忌中」の期間が終わり、神社への参拝が許されるようになることを「忌明け(きあけ)」と呼びます。

この「忌明け」のタイミングは、神道では「五十日祭(ごじゅうにちさい)」をもってとされます。これは、故人が亡くなってから50日目に行われる儀式で、これをもって故人は家の守り神となると考えられています。この儀式と「清祓(きよはらい)の儀」を経て、遺族の「穢れ(気枯れ)」は祓われ、清浄な状態に戻ったと見なされます。

仏式の場合でも、「四十九日(しじゅうくにち)」の法要(満中陰法要)をもって「忌明け」とするのが一般的です。この日をもって、故人の魂の行き先が決まり、遺族も日常生活に戻るとされています。

したがって、初詣の時期がこの「忌明け」よりも前(=忌中)にあたる場合は、神社への参拝は控えるのが賢明です。

どうしてもお参りしたい場合は?「お寺」への初詣という選択肢

では、忌中に新年を迎えた場合、一切の参拝が許されないのでしょうか。ここで重要になるのが、「お寺(仏教)」の存在です。

神道が死を「穢れ」と捉えるのに対し、仏教では、死を「穢れ」とは捉えません。仏教において、死は「迷いの世界(此岸 - しがん)」から「悟りの世界(彼岸 - ひがん)=極楽浄土」へ旅立つプロセスであり、故人は仏様の弟子となると考えます。

そのため、お寺(寺院)は、忌中であっても参拝することに何の問題もないとされています。むしろ、亡くなった故人の冥福を祈り、仏様に感謝を捧げる場として、積極的に訪れることが推奨される場合もあります。

もし、忌中にどうしても新年のご挨拶や祈願をしたいというお気持ちがある場合は、神社ではなく、お寺へ「初詣で(はつもうで)」に行くことを検討すると良いでしょう。(※初詣という言葉は本来神社・お寺を問いませんが、ここでは区別して表現しています)

ただし、忌中はお祝い事を控える期間でもあります。お寺への参拝は問題ありませんが、おみくじを引いたり、派手なお守りを買ったりといったお正月らしいお祝いムードの行動は控えめにし、まずはご本尊様に静かに手を合わせ、故人の冥福と新年の平穏を祈るに留めるのが、故人を偲ぶ気持ちに沿った行動と言えるでしょう。

【喪中】の初詣は行っても良い?神社とお寺で異なる考え方

クエスチョンマーク
「忌中(きちゅう)」(約50日間)が明けると、次は「喪中(もちゅう)」(約1年間)の期間に入ります。喪中は「故人を偲び、慶事(お祝い事)を控える期間」とされています。

では、忌中が明けた後の「喪中」の期間に迎える初詣は、どう判断すればよいのでしょうか。この点については、参拝先が神社かお寺かによって、考え方が異なります。また、ご自身の「初詣」に対する捉え方も重要になります。

神社(神道)の場合:「忌明け」後ならOKとする見解が一般的

まず、神社の参拝で最も重要視される「穢れ(けがれ)」についてです。前章で解説した通り、「忌明け」(五十日祭や四十九日)をもって、遺族の「穢れ(気枯れ)」は祓われたと見なされます。

そのため、「忌明け」後である「喪中」の期間であれば、神社の鳥居をくぐり、神様にお参り(初詣)すること自体は問題ない、とする見解が現在の神社界では一般的です。

ただし、ここで一つ考慮すべき点があります。それは、喪中が「慶事(お祝い事)を控える期間」であるということです。初詣は新年を「祝う」行事という側面も持っています。そのため、「忌明けはしたが、まだ故人を偲ぶ期間にお祝い事である初詣に行くのはどうなのか」という点で、判断が分かれることがあります。

これについては、「心構え」の項目で後述しますが、「お祝い」ではなく「感謝と祈願」としてお参りするという意識であれば差し支えないでしょう。

とはいえ、地域や神社の慣習によっては、「喪中(一年間)は神社の行事への参加や参拝を控えるべき」という考え方が残っている場合もゼロではありません。もしご自身が強く気になる場合や、地元の慣習を重んじたい場合は、参拝を予定している神社に一度問い合わせてみるのが最も確実です。

お寺(仏教)の場合:「穢れ」の概念がないため、喪中でも参拝OK

一方、お寺(仏教)の場合はどうでしょうか。

仏教には、神道のような「死=穢れ」という概念は存在しません。忌中であっても参拝が可能であるのと同様に、「喪中」の期間であっても、お寺への初詣は全く問題ありません。

お寺は、故人の冥福を祈り、ご先祖様への感謝を伝える場所(菩提寺など)でもあります。そのため、喪中に新年のご挨拶としてお寺を訪れ、「昨年は家族が無事に過ごせたことへの感謝」「故人が安らかであることへの祈り」、そして「新年の平穏無事」を仏様やご先祖様にお願いすることは、非常に理にかなった行いと言えます。

「忌明けはしたが、神社に行くのはまだ心情的にためらわれる」という方は、お寺への初詣(初参り)を選ぶと、心穏やかに新年を迎えることができるでしょう。

喪中に初詣へ行く場合の心構え(お祝い事ではなく、感謝と祈願)

「忌明け」後に神社へ行く場合も、お寺へ行く場合も、喪中の初詣において共通して大切にしたいのが「心構え」です。

喪中は、あくまで「慶事(お祝い事)」を自粛する期間です。そのため、初詣を「新年おめでとう!」というお祝いムードや、レジャー感覚、お祭り気分で行くのは控えるのが望ましいでしょう。

具体的には、

  • 新年を祝う「おめでとうございます」という挨拶は控える。
  • 境内の出店などで派手に騒いだり、宴会のような行動は慎む。
  • お守りやおみくじも、「運試し」や「お祝い」としてではなく、新年の平穏や故人の冥福を静かに「祈願」するものとして受ける。

このように、喪中の初詣は「新年のお祝い(慶事)」としてではなく、「旧年への感謝」と「新年の平穏無事の祈願(弔事や祈願)」という位置づけで、静かに心を込めてお参りすることを心がけましょう。そうすれば、神社・お寺のどちらであっても、故人に対しても神仏に対しても、失礼にあたることはありません。

【不成就日】の初詣は避けるべき?暦の「凶日」の考え方

カレンダー
「忌中」「喪中」といった身内の不幸とは別に、カレンダーや暦(こよみ)を見て初詣の日程をためらうケースがあります。それが「不成就日(ふじょうじゅび)」や「仏滅(ぶつめつ)」といった、いわゆる「凶日(きょうじつ)」です。

特に「不成就日」は、その名のインパクトから「この日に祈願をしても、願い事が成就しないのではないか?」と不安に思われる方が多いようです。

元旦や三が日といった、多くの人が初詣に訪れる日と不成就日が重なる年も珍しくありません。果たして、不成就日の初詣は本当に避けるべきなのでしょうか。その考え方について解説します。

不成就日(ふじょうじゅび)とは?「何事も成就しない日」とされる日

「不成就日」とは、日本の暦に古くから記載されてきた「暦注(れきちゅう)」の一つです。暦注とは、その日の吉凶や、その日にすると良いこと・悪いことなどを示した注記のことで、「大安(たいあん)」や「仏滅」などの「六曜(ろくよう)」もその一種です。

不成就日は、「何事も成就しない日」「何をしても失敗に終わる日」とされ、古くから契約事、結婚・入籍、開店・開業、引っ越し、新しいことの始めなど、重要な決断や行動を起こすには最悪の日とされてきました。

約8日に一度のペースで巡ってくるため、意外と頻繁に訪れる凶日です。これが新年の祈願を行う「初詣」の日に重なると、「願い事が叶わないのでは」と心配になるのも無理はありません。

結論:神社の参拝と「不成就日」は無関係。気にする必要はなし!

先に結論を申し上げますと、初詣(神社・お寺への参拝)と「不成就日」は、基本的に全く関係ありません。したがって、元旦や三が日が不成就日と重なっていたとしても、それを理由に初詣を見送ったり、日をずらしたりする必要は全くないのです。

神様や仏様に新年のご挨拶と感謝、そして祈願を捧げるという神聖な行為が、暦注という一つの考え方によって妨げられたり、そのご利益(御神徳・功徳)が失われたりすることはありません。

なぜ気にしなくて良い?神事・仏事と「暦注(れきちゅう)」は別物

なぜ「不成就日」を気にする必要がないのか。それは、不成就日などの「暦注」の由来と、「神社(神道)」や「お寺(仏教)」の教えが、全く異なるルーツを持つ、別のものであるからです。

不成就日や六曜といった暦注の多くは、古代中国の「陰陽五行説(おんみょうごぎょうせつ)」や「道教(どうきょう)」、日本の「陰陽道(おんみょうどう)」などに由来する、一種の「占術」や「民間信仰」です。

一方で、神社の「神道」は日本古来の自然崇拝や祖先崇拝に基づくものであり、お寺の「仏教」はインドで生まれたお釈迦様の教えに基づくものです。

神社本庁(神道の包括的な組織)も、公式サイトなどで「六曜と神社の信仰は関係ない」という旨の見解を示しています。これは不成就日についても同様で、神道の教えの中に「この日は凶日だから参拝してはいけない」というものは存在しません。

お寺(仏教)においても、例えば「仏滅」は元々「物滅」であり仏教とは無関係であったものが、後付けで「仏も滅するような凶日」とされたに過ぎません。仏様の慈悲や教えが、暦注ごときで左右されることはあり得ません。

神様や仏様の偉大な御力は、人間が作り出した暦の吉凶を遥かに超越したものです。

もちろん、ご自身が「どうしても気になる」という場合に、あえてその日を避けて別の日に参拝し、スッキリとした気持ちでお参りすることを否定するものではありません。しかし、原則として、「神事・仏事」と「暦注(民間信仰)」は切り離して考えるのが正しい理解です。安心して、ご自身の行きたい日に初詣にお出かけください。

Q&A:初詣と「縁起」に関するよくある疑問

クエスチョンマーク
ここまで、「忌中」「喪中」という身内の不幸があった場合の対応や、「不成就日」という暦の上の凶日について解説してきました。

これら以外にも、新年の初詣に際して「これって縁起が悪い?」「この場合、どうすればいい?」と迷いがちな、デリケートな疑問がいくつかあります。ここでは、そうした「縁起」に関するよくある質問について、Q&A形式でお答えしていきます。

Q1. 「仏滅(ぶつめつ)」や「赤口(しゃっこう)」の初詣も避けるべき?

A. この疑問に対する答えは、前章の「不成就日」と全く同じです。結論から言えば、「仏滅」や「赤口」といった「六曜(ろくよう)」の凶日を理由に、初詣を避ける必要は一切ありません。

「六曜(大安・仏滅・友引・先勝・先負・赤口)」は、不成就日などと同じく「暦注(れきちゅう)」の一つで、そのルーツは古代中国の占術にあります。これらは神道や仏教の教えとは全く関係のない、後から入ってきた民間信仰です。

よく「仏滅」は「仏も滅するような最悪の日」と解釈されがちですが、元々は「物滅(ものがめっする)」と書かれ、「物が滅び、また新しく始まる日」とされていました。これが後から「仏」の字を当てられ、凶日としてのイメージが定着したに過ぎず、仏教の教えとは何の関係もありません。「赤口」も陰陽道(おんみょうどう)に由来する凶日です。

神様や仏様の偉大な御力や慈悲が、人間が生み出した暦注の吉凶によって左右されることはありません。元旦や三が日が仏滅や赤口であっても、安心して新年のご挨拶と感謝、祈願を行ってください。

Q2. 忌中・喪中の場合、お守りやお札はどうする?(返納・購入)

A. 忌中・喪中の期間は、お正月飾りや年賀状などを控えますが、神棚のお札や昨年のお守りをどう扱うべきか、悩ましい問題です。これは「返納(古いもの)」と「購入(新しいもの)」に分けて考えると分かりやすいです。

  • 古いお札やお守りの「返納」について
    【忌中(約50日)】:神社への返納は控えます。忌中は神社の鳥居をくぐることを慎む期間ですので、「古札納所(こさつおさめしょ)」などへの返納も同様に控えるべきとされます。お寺への返納は仏教の教え上、問題ありません。
    【喪中(忌明け後)】「忌明け」後であれば、神社・お寺ともに返納して問題ありません。「忌明け」=「穢れ(気枯れ)」が祓われているため、神域に入っても大丈夫です。
  • 新しいお札やお守りの「購入(拝受)」について
    【忌中(約50日)】:神社での購入(拝受)は控えます。お寺での購入は問題ありませんが、新年の「お祝い」としてではなく、故人の冥福や家族の平穏を「祈願」する気持ちで受けるのが良いでしょう。
    【喪中(忌明け後)】神社・お寺ともに、新しいお札やお守りを受けて問題ありません。ただし、これも心構えが大切です。喪中は「慶事(お祝い事)」を控える期間ですので、「新年のお祝い」としてではなく、「旧年への感謝」と「新年の平穏無事を静かに祈願する」という気持ちで拝受するのが望ましい姿です。

Q3. 喪中の初詣で「おみくじ」を引いてもいい?

A. これも判断に迷うところですが、一般的に「喪中(忌明け後)」であれば、おみくじを引いても差し支えないとされています。

その理由は、おみくじが単なる「運試し」や「お祝い事」とは、少し性質が異なると考えられるためです。

おみくじは本来、「神様や仏様からの御神意(ごしんい)やアドバイス(お告げ)」をいただくものです。新年のスタートにあたり、今年一年をどのように過ごすべきか、何を心がけるべきかという「指針」をいただく行為であり、これは「慶事」とは一線を画します。

ただし、ここでも「心構え」が重要です。喪中(忌明け後)とはいえ、故人を偲ぶ期間であることに変わりはありません。もし大吉が出たとしても、その場で大声で喜んだり、はしゃいだりするのは慎むべきです。逆に凶が出たとしても、過度に落ち込む必要はありません。

吉凶の結果だけに一喜一憂せず、そこに書かれている和歌や生活の指針(学業、商売、恋愛など)を静かに持ち帰り、新年の行動の参考にさせていただく、という謙虚な気持ちで引くのであれば、何の問題もありません。

忌中・喪中で初詣以外に控えるべき「お正月行事」

ここまで「忌中」や「喪中」の期間における「初詣」の可否を中心に解説してきました。特に「忌明け」後の喪中であれば、心構え次第で初詣(参拝)自体は可能、という見解をご紹介しました。

しかし、そもそも「お正月」という行事そのものが、新しい年を迎えたことを「祝う」=「慶事(けいじ)」にあたります。そして「喪中」とは、この「慶事」を控えて故人を偲ぶ期間です。

したがって、初詣に行く・行かないの判断以前に、喪中の期間(特に故人が亡くなってから初めて迎えるお正月)においては、控えるべき伝統的な「お正月行事」がいくつか存在します。これらは故人への追悼の意を示すための大切な日本の慣習です。ここでは代表的なものを確認しておきましょう。

1. 喪中はがき(年賀欠礼状)の送付

喪中に迎えるお正月で、まず最初に行うべきことが「喪中はがき(年賀欠礼状)」の準備と送付です。

これは、「身内に不幸があったため、新年のご挨拶(年賀状の交換)を失礼させていただきます」という旨を、事前にお知らせするための挨拶状です。こちらが喪中であることを知らずに年賀状を送ってくださった相手に、かえって気を遣わせてしまうのを防ぐ意味もあります。

一般的に、相手が年賀状の準備を始める前の11月中旬から、遅くとも12月初旬までに届くように送るのがマナーとされています。故人との続柄(間柄)や亡くなった時期などを簡潔に記します。

2. 正月飾り(しめ縄・門松・鏡餅)

新年を迎えるにあたり、家の玄関先や神棚に飾る「正月飾り」も、喪中の期間は控えるのが一般的です。

「しめ縄(注連縄)」は神聖な場所との結界を、「門松」は新年の神様(歳神様)をお迎えするための目印(依り代)、「鏡餅」は歳神様へのお供え物です。これらはすべて、新年を「お祝い」し、神様をお迎えするための縁起物です。

喪中は「慶事」を控える期間ですので、これらのお祝いの飾り付けは行いません。神棚があるご家庭では、「忌中」(約50日間)は神棚の扉を閉め、白い紙を貼って「神棚封じ」を行います。「忌明け」後は神棚封じを解いてお参りを再開できますが、その後の「喪中」の期間中は、新年のためのお札の交換や、鏡餅などのお供えは控えるのが丁寧とされています。

3. おせち料理やお屠蘇(とそ)などのお祝い膳

お正月に家族で囲む「おせち料理」も、本来は新年を祝うための「祝い肴(いわいざかな)」です。黒豆(まめに働く)や数の子(子孫繁栄)など、縁起の良い食材が詰められた「お祝いの料理」です。

そのため、喪中には、こうした伝統的なおせち料理は控えるのが基本です。同様に、新年のお祝い酒である「お屠蘇(おとそ)」も飲みません。

ただし、これは「喪中はお正月のご馳走を食べてはいけない」という意味ではありません。あくまで「お祝い膳」を避けるという意味です。故人を偲びながら、家族が静かに集まって食事(普段の食事の延長線上にあるもの)をすることまで禁じられているわけではありません。

4. 「おめでとう」の挨拶

最も基本的で、日常生活に関わるのが「新年の挨拶」です。

喪中、つまり故人を失った悲しみの中にいる期間ですので、新年を迎えたからといって「おめでたい」状況ではありません。したがって、「あけましておめでとうございます」というお祝いの言葉は使いません。

ご近所の方や職場の人などと顔を合わせた際は、「昨年は(も)お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします」といった、新年を迎えたことへの感謝や、平時の挨拶に留めるのが適切なマナーです。

まとめ:故人を偲ぶ気持ちを大切に、状況に合わせて判断を

初詣のイメージ
新年の初詣に際して、「忌中(きちゅう)」「喪中(もちゅう)」「不成就日(ふじょうじゅび)」といった、デリケートな事情や暦(こよみ)の上での懸念点について、どのように判断し行動すべきかを詳しく解説してきました。

この記事でお伝えした重要なポイントを、最後にもう一度整理します。

1.「忌中(故人が亡くなって約50日間)」の場合
神道の「死=穢れ(けがれ)」という考え方に基づき、神社への初詣(鳥居をくぐること)は厳に控えるべきです。ただし、仏教では「穢れ」の概念がないため、お寺への初詣(初参り)は問題ありません。

2.「喪中(忌明け後~約1年間)」の場合
「忌明け」により「穢れ」は祓われているため、神社・お寺ともに初詣(参拝)すること自体は可能です。ただし、喪中は「慶事(お祝い事)」を控える期間です。「新年おめでとう」というお祝いムードではなく、「旧年への感謝」と「新年の平穏無事」を静かに祈願するという心構えでお参りすることが大切です。

3.「不成就日」や「仏滅」など暦の凶日の場合
これら「暦注(れきちゅう)」は、神道や仏教の教えとは全くルーツの異なる民間信仰です。神様や仏様の御力や慈悲が、暦注によって左右されることはありません。したがって、元旦や三が日がこれらの凶日と重なっていても、一切気にする必要はなく、安心して参拝してください。

日本の伝統的な慣習や信仰には、様々な考え方やルールが存在します。しかし、それらのルールにがんじがらめになって不安を抱えたまま新年を迎えるのは、本末転倒かもしれません。

最も尊重すべきは、「忌中」のように明確に定められたマナーを守ったうえで、何よりも故人を偲(しの)ぶ、あなたご自身のその時の「お気持ち」です。

「忌明けはしたが、まだ神社に行く気持ちになれない」というのであれば、無理に初詣に行く必要はありません。ご自宅で静かに故人を思い、手を合わせることも立派な新年の迎え方です。逆に、「忌明けしたからこそ、神様・仏様にご挨拶し、故人の冥福と家族の平穏をしっかり祈りたい」というお気持ちであれば、前述した心構えを持って参拝されれば良いのです。

大切なのは、形式に振り回されることではなく、ご自身の状況や心情と向き合い、故人への思いと神仏への敬意を大切にしながら、ご自身が納得できる形で判断することです。

この記事が、あなたの心の中にある不安や迷いを解消し、2026年という新しい年を、少しでも清々しく穏やかな気持ちでスタートするための一助となれば幸いです。

  • この記事を書いた人
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